夏祭り

夏祭りは毎年 7月19日、7月20日の二日間斎行されます。

令和6年度の山車巡行についてはこちらをご覧ください

もともとは、夏季に起こりやすい流行病を退散させる意味のお祭りでした。戦前には渡御式、俗に「お渡り」といわれる神事がありました。これは神様を奉戴した御鳳輦ごほうれん、御神輿おみこしを中心として、先導の太鼓以下長い行列を整えて新家の御旅所に赴き、そこで祭典を斎行した後、再び行列をして本社に還る、という儀式でした。諸般の事情で今はこの通りのことはできませんが、そのかわり太鼓、地車、および鯛鉾が氏子区域を巡行しております。

太 鼓

その起源はさだかではありませんが、江戸時代から存在したことは事実であります。昔は、生国魂、天満、御霊、茨住吉と並んで勇壮な太鼓の五指に数えられていました。かつて渡御の行われたときには、行列の先導を務め、太鼓の音をもって道筋を清めたものでありました。今は氏子巡行中は台車に載せて曳いていますが、それでも夜間宮入りのときは、大勢の若衆がかつぎ上げ、特に両手を伸ばして頭上高く差し上げた姿は昔ながらの勇壮そのものであります。

地 車

むかし野田村は、六つの町に分かれていまして、そのうち一町が太鼓を、一町が神輿を、そして他の四町が地車を持っていました。すなわち四台の地車があったのですが、老朽化したため大正の中ごろから廃絶していました。それを復活しようという気運が起こったのが、昭和六年で、このとき昔の四台のかわりに、一台の大きな地車を作ろうということになり、岸和田の専門家を招いて、一年がかりで作らせたのが今の地車です。
 昭和6年着工、昭和7年7月3日完成。当時の金額で5千円という大金でした。地車大工は泉州の絹井楠次郎氏、彫刻師は富山県井波出身の川原啓秀氏。彫刻のテーマは大阪夏の陣・冬の陣など豊臣一代記が主である。とにかく地車全体が総彫刻といった感じで、大阪屈指の地車である。(参考文献:祭に生きづく大阪のだんじり)
 特徴:武将の持ち物と兜の鍬形は金物で作られ、懸魚・車板・大屋根枡合・勾欄以外はすべて豊臣軍記の図柄で統一されている。

鯛 鉾

今の玉川連合の中で、もと亀甲町一丁目というところに居住していた有志の人々が、昭和4年に御大典を記念して寿寿芽(すずめ)講という団体を組織されました。そしてその事業として四神鯛鉾の製作が企てられ、昭和六年に完成したのが現在の鯛鉾であります。鯛鉾の四隅には、東西南北の神である青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(しゅじゃく)玄武(げんぶ)を描いた旗すなわち四神旗が立ててあります。それで四神鯛鉾と称するのであります。

すずめ踊り

三好一族の野田城築城のため、ここ玉川の地に住んでいた泉州堺の石工達の流れを汲む「すずめ講」の皆様が鯛鉾を作成され「すずめ踊り」を行っていたと言われており、「鯛鉾」の側板にはすずめ踊りの姿がくりぬいて彫り込まれています。長年中断していたすずめ踊りを平成19年から奉納し、夏祭りの「ハレ」として、地域の新たな伝統として復活いたしました。軽快な囃子にあわせて、はっぴ姿の踊り手達が、羽に見立てた二枚の扇子を大きく振り、にぎやかに舞います。